祝・山中湖センター100周年
 100年前、関東大震災により初代の会館を失った東京YMCAは、焼け残った体育館を避難所として提供。全国20カ所のYMCAと700の教会からの支援を受けて、炊き出しなどを行いました。そして、その年、精神・知性・身体のバランスのとれた「全人教育」を行なう場として、教育キャンプの研究を進めていた東京YMCAの委員であった小林弥太郎氏は、少年たちのための場を作りたいと考え、山中湖畔に自ら土地を購入。モーターボートや桟橋などの整った常設キャンプ場をつくり、東京YMCAに寄付しました。この時代には既に、海軍の水野廣徳氏が「日本は戦争をやる資格のない国」(戦争ができない国)と看破していましたが(加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』参照)、翌々年に悪名高き治安維持法が制定され、1937年には日中戦争が勃発。こうして湖畔の一角を占める山中湖のキャンプ場は、続く第二次世界大戦中の食糧難で、農業用地として接収される瀬戸際にまで至ります。しかし、それを救ったのは、やはり会員の家族でした。この地に移り住み、敷地内に畑を作って農業をしながらここを死守したのです。こうして守られた山中湖センターは、戦後、もとのキャンプ地へと戻され、野外教育の場として発展し続けています。YMCAの会員一人ひとりがスキルを提供して、現在の姿に繋げていることがよくわかるエピソードです。私たちの100周年記念募金への協力も、必ずや次の100年への橋渡しになることでしょう。

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