国際大会に参加して

        松本良三
 国際大会は、上記7名のほか、露崎メン・メネット、吉岡メン・メネット、上原メネットの合計12名が参加した。
 第1日(8月1日)
 今回の参加者数は、700名をこえ、うち日本からは約170名である。会場は、建国200年を記念して開発されたダーリング・ハーバーにあるコンヴェンション・センター。開会式に続き、フェリー3隻に分かれ、シドニー湾クルーズを楽しむ。会場から見る、シティ、オペラ・ハウス、ハーバー・ブリッジなどの素晴らしい景色を堪能した。晩餐会は食事券に記された番号の丸テーブルに着くという方式。同じ国の者が固まらないようにし、他の国の人達と親しくなれるようにという配慮の結果であろう。事実、我々のテーブルでは3日間を通じて、オーストラリア、韓国、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンのカップルであった。この席で、表彰式が行われ、エルマークロウ賞は東日本区では直前あずさ部長伊藤義則さん(松本クラブ)に、ワイズの最高の名誉であるバランタイン賞は、大阪クラブの三井満寿雄さんにおくられた。
 第2日(8月2日)
 午前中は全体会議、国際書記長の年次報告、オーストラリアYMCA同盟委員長のお話(オーストラリアYMCAの現状と課題)など。午後は、ワイズメンズフォーラム、この中のひとつに「マーケティング」というテーマがあり、コンサルタントの人が、会員増強などにはマーケティング手法が有用と話され注目された。
 第3日(8月3日)
 午前中はエリアミーティング、私はアジア地区協議会(代議員会でもある)を傍聴する。新役員の就任式、各区理事の報告(英語)にさまざまな議事で時間はオーバー。ただ、地区会長の「我々ワイズの会の共通語は英語であり、我々はこれに強くならなければならない。」というコメントには全く同感であった。これは、ベンディゴの人、晩餐会でのオーストラリア人という英語が母国語の人との会話で、聞き・話すことの力不足を痛感し、また違った意味で、北欧の人達とも自分の英語があまり通じないことにショックを受けていたことにもよろう。午後は会議がなく、ランチボックスをもらって、半日ツアーなど自由に時間を過ごした。晩餐会の開始30分にベンディゴの参加者30名(メンクラブ、メネットクラブ合計)に台北アルファ、香港クラブの人も集まり交歓の時を持った。なお、この時の様子が写真で大会ニュースに紹介された。この日大会最後の晩餐会は、国際会長主催晩餐会として、いつもより少しはなやいだ楽しいものとなった。それは、個々人の服装にも現れ、食事もリブステーキが出て一品多く、羊の毛刈りの実演にアボリジニー(先住民)の歌とダンスなどショーも盛りだくさんであったことにもよる。

[ベンディゴ・クラブとの交歓]
 国際会長のスピーチでは、会員数は昨年1272人増加したがその大部分はインドであり、他の5のエリアは微増、2のエリアは減少となっている。今、西欧の40、50歳台の人達は奉仕クラブに入会することに興味をもたない。国際関係では、少人数のクラブの投票が認められなくなったので、クラブは次第に国際のことに関心を寄せなくなった。」これらの指摘には教えられるものがあり、「以上述べた諸問題はどれも解決不可能ではないが、皆さんの尽力、献身、創造力が求められる。」には決意を促される。
 第4日(8月4日)
 ユース担当の礼拝とユースコンボケーションの報告。閉会式は、次回の国際大会のアピールが第1日の夜にすんでいることもあり簡単に終わる。
 次回の国際大会は、2004年にインドのコチンで開催され、アジア大会は2003年7月24日〜27日フィリピンのマニラで開催される。
 私の国際大会参加は香港に続き2回目となったので、だいぶ慣れてきた。やはり世界各国の人々と交わり、国際的視野からワイズのことを考える格好の機会である。勿論、主要な会議では同時通訳の助けも借りられるが、前述のように英語に堪能であれば、理解と楽しさが倍加することは間違いない。これからも、一人でも多くのメンバーが国際大会という良き経験を持たれるようおすすめしたい。