BFフルグラント南米の旅 (2)

佐藤謙蔵

 出発の2006年3月25日昼、在日滞在保証している中国人、呉守智君が見送りと手伝いに来てくれ、共にYCATから成田へ着くと、多忙の中、庄司、細川両ご夫妻もわざわざ見送りに来て下さり、国際携帯電話での連絡方法等の教えを受け、クラブ挙げての大きな激励を身に感じながらの旅立ちであった。



[見送りの人々と記念撮影(中央が筆者)]

 定刻、夕7時10分AA518便に搭乗し、JFKへ現地時間25日18時10分到着した。航空券はNYよりAA2111便20時発マイアミ経由リマ行き(26日午前5時20分着予定)が乗継ぎ不能となり、AA社でLanChili5311便リマ行き直行便に変更し、リマへ2時間遅れ26日朝7時20分到着予定となった。NYでは通常の乗継ぎ貨物移動が出来ず、再度検査を受ける時間から生じるリマ到着遅延であった。LanChili航空の搭乗窓口に事情を話し、念のためリマで出迎者へ連絡してくれるよう依頼し搭乗したものの、出迎えが2時間も待ってくれているか不安を伴いながら、9時間を要してリマ(ホルヘ・チャベス)国際空港への到着となった。
 入国手続後、ワイズのA4版逆三角マーク印を持ちながら、人込みに囲まれ出てゆくと、ペルーのバナーを持って出迎えてくれていたAlejandro Konja氏とそのお嬢さん(Marthaさん)が同時位に気付いてくれた。空いた処へ移動して挨拶を交わし、遅延の事情も知らされていたようだった。Konjaさんはスペイン語のみで、英語を多少話すお嬢さんを伴って来た由。
 車中でマルタさんを介しての会話では、「私の先祖は日本人です。戦時中私の父が戸籍資料を散逸して無くなって残念だが、今はリマの日本人クラブの幹部です」とのこと。「名前のKonとJaが唯一の名残りです。今日はホテルで午前中休息後、午後3時頃からリマの日本人クラブを案内します」との話題を交わしつつ高速道路を走り、40分足らずで新市街区郊外に属するサンボリア地区のビジネスホテルLas Romaに到着した。ホテルロビーにFlorencio Gutierrez(グティエレス)さん(出発までリマ在住の大塚文平氏が連絡したワイズの幹部)他2名のワイズメンの歓迎を受けた。その最中にタイミング良く田中博之メンから電話があり、無事到着の第一報を伝える事ができたのであった。